ねごと日記

ラジオときどきPodcast

ねごとcafe 身体性の延長に関する考察2

おはようございます。陽気なねごとです。

昨日は帝国劇場ラストdayでしたね。日テレの中継を一人ぼんやり観ながら、

もっと早くミュージカルに出会って、たくさん足を運びたかったなあと

しみじみしていました。

私が唯一、帝国劇場に行ったのは2024年夏の「ムーラン・ルージュ」。

わーん、もう一度観たい!!

帝劇にはしばらく行けないですが、反動で(?)

早速チケット確保したミュージカルが2本。日生劇場明治座だったかな?

帝劇がない間の様々な会場巡りもちょっと楽しみかも。

 

早速その2

先週、思い余って書き始めたこの「考察」。

なんか思うことがあったらぼちぼち続き書こう〜と思っていたのに、

早速事件を起こしてしまった。私がね。笑 

negoto-y.hatenadiary.com

 

いつものアレ

前回書いた通り、私は「ジャイアンカオナシ」から日々逃げている。

飲み込まれないように、すぐに体の一部に囚われてしまわないように。

そんなある日、夫が美容院に行ってきた。

ズボラなのか器用なのかよくわからないが、

夫は自分で自分の髪を切ったりするので年に数回?のイベントなのだが

これがやってきた。久しぶりで忘れてた。

「どう?爽やかすぎ?」

「どう?かっこいい?」

これの返しにいつも迷う。

嘘でも「爽やかだね!」「かっこいいね!」と言えばいいのだ。

なのに、その言葉が頑なに出てこない。

これってなぜなんだろう。頭を抱えてしまった。笑

 

与えられてないのに

しばらくはぐらかした後、しつこいので私はこう言った。

「そうやって言えていいね。幸せそうで羨ましいよ〜。」

発した瞬間、まずいと思った。これは絶対やばいでしょ。

でも私の中からするすると出てきたのがこれだった。

なんて嫌味なの。こうやってまた自分の言動に酷く落ち込んでしまうのに。

うわ〜、やっちまった。そう思って夫の顔を覗き込んだが、

「え〜、なにそれ〜笑」とヘラヘラしていた。

なんのダメージもなさそう。さすがだ。(いや、救われた?)

その後ずっと引きずりながら考えた。

なぜこんな嫌味を言ってしまうのか。なぜ「褒める」ことに抵抗があるのか。

考えた結論としては、「与えられていないから」ではないかと思う。

自分が夫から与えられていない「褒める」「相手が喜ぶことを言う」こと、

「もらってないのに何であげなきゃいけないの」という思考になっていないか?

あと、「かっこいいね」「素敵だね」って、

「求められて言うもの」じゃないのでは?(根本的!)

その辺も、今テーマとしている「身体性の延長」に引きつけて言うと、

「そのセリフ、"他人"にも言えるかい?」と思った。

家族という、非常に近い"他人"なんだから許してあげてよという

範囲かもしれないが、普段の行い、やり取りのせいで

全然許してあげられていないことが、目に見えてわかる。

毎日丁寧に、相手を尊重する。それって想像以上に影響があるんだな。

私の性格が死ぬほど悪いだけじゃなくて、

これも日々の積み重ねなんだよ、と思いたい。

私を救うためかもしれないが。

私から夫に対して「それいいね!」と言える日が来たら、

ちょっとした変化として記録しておいた方がいいのかもしれない。

いや、でもさ、「与えられていないから与えられない」って、

どっちが先?自己犠牲は絶対に発生するよね?という議論に戻ってしまう。

しかし相手に「伝えたい」と思って自然に生まれる言葉は

「自己犠牲」だなんて思わないか。

やっぱりぐるぐるしてしまうのであった。

 

続く