ねごと日記

ラジオときどきPodcast

よしなしごと -- 1

この長い人生で、まっすぐな恋をしたことがあるだろうか。

私は、ない。

申し訳ないくらい、言い切れる。

その人が好きで、愛おしくて、私のものにしたいと思えるような恋、

そんな経験が一度でもあっただろうか。

32歳になるまであと少し。あと数日というところで、

瀬奈はまたこのことを考えていた。

仕事をして、家事をして、食事をして、生きていて、

ふとした時にやってくる、"過去"の脅迫。

手に入れられなかったものを突きつけてくる、

自分の記憶と脳味噌にうんざりする。

そりゃ何回か、人を好きになったり、お付き合いまで発展したことはある。

しかし、どの付き合いにも、何かと問題があった。

いや、私に問題があった。

そんな、別に思い出したくもない記憶の中で、

一番私のことをまっすぐに好きだと言ってくれたのは誰だろうか。

誰もいない部屋に帰り、誰もいないのにイヤホンをする。

そうやって耳を塞ぎながら、瀬奈は、阿部のことを思い出していた。

 

阿部とは大学生の時、バイト先で知り合った。

4年生で就活も終わり、あとは卒論というタイミング。

瀬奈は卒業旅行の資金にするつもりで、

時給の良い繁華街の居酒屋で少し働くことにした。

そこで阿部に出会った。今まで関わったことのないタイプの人だった。

違う大学でサッカーをやっていて、肌は黒くて、ちょっと濃い顔。

居酒屋バイトはベテラン。キッチンの人と軽やかに話したり、

人手が足りない時には、忙しいなかドリンク担当を明るくこなしていた。

「忙しいぜ〜!こんな高速でさばいてる俺、すごくね?!」

日々大学の課題を静かにこなし、穏やかに過ごしていた瀬奈にとって

異質、オラオラ系、陽キャ。絶対に交わることのない人物だと思った。

阿部には、瀬奈が入った時点で、同じバイトの年下の彼女がいた。

身長が低くて、いつも可愛いピアスをしていた。

まっすぐツヤツヤの髪が、居酒屋の少し汚れた

バンダナに隠れてしまうのが勿体無い。

小さくて女の子らしくてかわいい彼女じゃないか。

それなのに、いや、そういうこととは関係なく、

ナチュラルに、数日でズカズカと距離を詰めてくる阿部に、

瀬奈は少し恐怖を感じていた。

「瀬奈、今日何時上がり?」

「(いきなり呼び捨て?)ん、んーと、22時だと思います。」

「俺も!一緒に帰ろ!」

阿部は、不自然にカタコトの敬語で喋る瀬奈を見かねて、

聞いてもないのに、真っ先に同い年であることを教えてくれた。

「明日、先輩の家で髪染めようと思ってて、瀬奈も来てよ」

「(髪を染めるのに一緒に来てとは?)まあ、いいけど・・・」

「やったー!絶対だかんな!」

屈託のない笑顔とはこのことか。

陽キャに近寄られるどころか、避けられる人生だと思っていたから、

阿部の言葉、表情、身振り、手振り、

瀬奈にはそのすべてが研究観察対象のように思えた。