「え、いやだよ。二人乗りなんて。捕まるじゃん。」
「大丈夫だって。いいから乗って。」
阿部は頑なだった。
なんとなく、このまま阿部を置いて駅に向かうのも変だと思った。
夏のぬるい風が吹いていた。
駐輪場から出て、自転車の後ろに乗った。
二人乗りなんて、高校の部活帰りに友達とやったくらいじゃないかな。
瀬奈は初めて、阿部の背中に触れた。
「ちゃんとつかまって。」
反抗心をしっかり持って、言葉にするのも面倒になっていた。
どうでもいいな。
言われた通り、ちゃんとつかまった。
「やればできるじゃん。」
居酒屋の油の匂いもした。
そこからは特に意味もなく、ひなたのことは忘れて、
お互いの学校の話をした。
阿部は、バイトばかりして勉強が全然できていなかった。
それも予想通り。「思ったとおりだ。」と口をついて出た。
「おい!どういうことだよ!降ろすぞ!」
「降りるよ。」
「嘘だよ!」
自分の人生で、金髪の兄ちゃんが漕ぐ自転車の後ろに乗るなんて、
想像もしていなかった。瀬奈はなんだかぞくぞくしていた。
予想もしなかったことが起きている。
もっと、この生き物を観察させてほしい。そんな気持ちだった。
細くて暗い道を過ぎると、大きな川にぶつかる。
この橋を渡れば、瀬奈の家は近い。
「瀬奈。」
「なに、阿部。」
「阿部ってやめろよ、ヒロトでいいよ。」
「やだよ、付き合ってるみたいじゃん。」
瀬奈はその後も絶対に"阿部"と呼んだ。
なんなら瀬奈は、阿部の下の名前をしばらく思い出せなかった。
それくらい、瀬奈にとって阿部は阿部であり、ある意味特別だった。
「今度さ、水族館行こうよ。」
もうすぐ家に着くところで、阿部はそう言った。
「ん、いいよ。」
特に何も考えずに、瀬奈は答えた。
卒業までの束の間のバイトで、こんな狂いがあると思わなかった。
阿部は、嬉しそうにニコッと笑った。
「瀬奈と出会えてよかった!」
本当にこの陽キャは。つくづく見たことのない反応をしてくる。
やっと、瀬奈は自転車の後ろから降りた。
阿部が勝手に遠回りをしたようで、もう日付が変わろうとしていた。
そうか、電車だとこんなに話せないもんな。
阿部の自転車には、そういうあざとさがあったのかもしれない。
その後も何度も阿部の自転車の後ろに乗り、家まで帰った。
あの大きな橋を渡りきるところで、数えきれないほど警察に止められた。
阿部はその度に「あ〜!ご苦労様で〜す!後ろ乗ってませ〜ん!」と笑っていた。
瀬奈も、警察のいそうなところで自転車からすっと飛び降りて、
いかにも「歩いて一緒にいた」ことを装う変な技術を修得していた。